♯3 購買部へ行こうよ!
「なんかさあ、朝からテクんのってゲロマックスダルくね? 足、超ダリぃし。つーか、あたし、ヘアとコーデ、即オルチェンしたいのね。そろそろ耳下シニョンか、おしゃ見え狙ってワンテクポニテかなっておもってんの、あとそれか前パッツンの外ハネ系? 今の感じだとモス食うときとか超ウザいじゃん? つーか今おもったんだけどタンバルモリもいい感じじゃない? あれ流行ってる気がしない? オルチャンかドファサルもいいよね」
金髪ギャルの千ノ宮(せんのみや)海凪(みなぎ)が詠唱する古代魔法の如き難解な言語を耳にしながら、わたしたち六人はバックパックを背負って購買部へと向かっていた。
午前の授業内容は午後のダンジョン探索(エクスプロール)に備え、その準備を整えること。
宇座鳥先生がいったように、《実潜》以外は基本、自由。それ以外の時間は校内であれば、どのような過ごし方も許されている。
この授業の目的は、ダンジョン探索を円滑に進めるために限られた時間を有効に使うことだ。他のパーティーは《酒場(さかば)》と呼ばれる社交広場(ラウンジ)へ情報を集めにいったり、先生方の授業(この時間は《身体異常学》の「毒対処法」と、《探索学》の「ダンジョン探索の基礎知識」)を受けたり、持ち込んだ装備を《鍛冶部》で鍛えてもらいにいったりと、各々話し合って優先すべきと判断した行動をとっている。
わたしは道具選びを何より優先すべしと考える。
ダンジョンでは、いつ不測の事態が起きても不思議ではない。そんな時、道を切り開いてくれるのは己の機転とバックパックの中にある道具だ。高名な探索者(エクスプローラー)の冒険記を読んでいると、ロープ一本が活路を開いてくれた、油一(ひと)瓶(びん)に命を救われた、といったエピソードをしばしば目にし、そのたびに道具の有難さを思い知らされる。
かといって、なんでもかんでも持ち込めばいいというわけじゃない。懐(ふところ)ぐあいとバックパックの容量、そして人間の体力には限界がある。テレビゲームのRPGみたいにポーション九十九個とかウン十万G(ゴールド)とかを持ったまま旅するなんて狂気の沙汰で、空間や重力を自在に圧縮、膨張、解放させる高等魔法でも使わなければ現実的にはどうやったって無理だ。普通に考えたら重みで圧死は必至だし、がんばって歩けたとしてもダンジョンの通路につかえて進めなくなってモンスターの玩具にされる。
実際はどんな道具にも形状や重さといった持ち運びの際に生ずる煩わしさ(エンカンブランス)が発生するものだ。バックパックの収納量が増せば増すほど探索の足手まといになるし、端(はな)から詰め込みすぎだとせっかくの戦利品も持ち帰れない。だからこそ、探索者(エクスプローラー)はバックパックの中をしっかりと整理して貴重な収納スペースを有効的に活用し、ダンジョンへ持ちこむ物はたっぷり時間をかけて選びに選び尽くさなくてはならないのだ。
――ところで。
肝心のパーティー編制のほうだが、滞りなく制限時間内に終えることができた。幸運にも、といってしまうには些(いささ)か不本意なのだけれど、わたしは一人あぶれるという憂き目にあうこともなく、無事に五人の仲間に恵まれたのである。
もう一度いうが、不本意な結果であって、これを『恵まれた』というべきか悩んでいる。
賢明なるクラスメイトたちが実に慎重に、かつ可及的速やかにパーティーに必要な人材を選んでいった結果、わたしも含め、数名の生徒があぶれることとなった。
その数、六名。
こうして、選ばれずして選ばれた者たちでパーティーを組むこととなったのだ。
で、彼女もその一人。
「――なわけでしょ、だから、おフェロガーリーもあたしん中で今来(キ)てるっちゅーか、かきあげ系にサイド三つ編みとかもいい感じだし、あえて真逆いって、ゆるポニにガーリーピンとかもよくない? よくなくね?」
「あ……うん、よくないかもね」
「ていうか今年の夏はマイあたし的に、ちょいスケして今(いま)っぽ感あふれださせる感じ? あっ、なんかくちびるケバッてんし、マジなえる、オロナイン超欲しいんですけど」
「購買には売ってないんじゃないかな……オロナイン……」
「うそ、それマジ、エモいんですけど。つーかそんでさ、安かわのくすみパステルで大人ロマにコーデしたいってプリ友にモニョったらさ――」
金髪ギャルは先ほどからまったく日本語を話してくれない。異国の方(かた)かとおもい、「なに人(じん)なの」って訊ねたらイソジンと返ってきたので日本人であることはほぼ間違いないのだが、話を聞いていても辞書に載っていない単語ばかりが出てくるから困っていた。今のもオロナインぐらいしか理解できなかったし。
この授業ではダンジョン探索の準備の他、「交流を深め、仲間意識を強めよ」という課題を出されているのだけれど、いきなり難題を突きつけられてしまったというわけだ。
「――とかいっててマジで超ウケんの。そんで見た感じだけジェンダーレスとかぁ、女子チャンにすんのって今ハマってるんだわ、てか流行(ハヤ)ってるくさくない? みたいな話してさ。聞いた感じ、なんかポイントつったらプラス彼(かれ)ジャケ風(ふう)のダボジャンだっていうから、そんなのいわれても白目だし、その時点で沼(ぬま)なのは確定だし。脱いだらショル出しってのも、まぁわりとハマってるっちゃハマってるけど、あたしこう見えて冷え性じゃん? さし色(いろ)問題も発生するし、黒って感じがパターンになっちゃって、すでに超飽きてるし。次やっぱハダ見せよかロゴドンじゃねっておもってんだけど、いかがなもん?」
――無理、だれか助けて。この人、さっきから何語を話してるの?
うん、だめ。諦めた。だって会話が通じないもの。なんか紅ジャケみたいなこといった? ロゴドンってなに? テレス●ンとかスカイ●ンみたいなこと? ウルトラ怪獣? 意思の疎通ができない仲間ってどうなの?
でも彼女はまだ、わたしとコンタクトをとろうとしてくれているだけマシだ。
先刻ヤンキー認定させていただいた『触れるな危険』の強面(こわもて)女子、水那面(みなも)リエン。彼女なんて、わたしがなにか気に障ることしましたかってくらい、目が合うたんびに睨んでくる。話しかけると「あ?」しか返さないし、耳が悪いのかなとおもってゆっくり話すと「おちょくってんのか」とさらに睨んでくる。あの手のタイプはオーク脳が多いと聞くが、なるほど、へたに触れないほうがいいということがよくわかった。
彼女の遥か後方でだらっだらと歩く姿が見える――斧(おの)塚(づか)ランか。
堂々たる爆睡(ばくすい)を披露していた彼女だ。いまだ目覚めきっておらず、自分がどこへ向かっているのか、なぜ廊下を歩いているのか、おそらくわかっていない、というか意識さえあるのかも疑問なゾンビパウダーをかけられた人状態。海面から首をもたげる大海蛇(シーサーペント)の如き派手な寝癖を頭に載せ、おぼつかない歩みは腰にしがみつく睡魔を引き摺るように重々しく、頭をボリボリ掻きながら大欠伸する姿はやる気と若々しさをまるで感じない。今日日(きょうび)ゾンビのほうがもっとキビキビしている。
さすがあぶれ者の集まりだ。わたしたちのパーティーは協調性の欠片も見当たらない。
この購買への移動だって半ば、わたしが無理やり決めたことだ。「これからどうする?」とみんなに相談したら、歯軋りで返すわ、睨みで返すわ、異種族の言語で返すわ、お話しにならなかった。まだお互いの自己紹介さえ済ませていないし、役割(クラス)も知らない。名前と性別と人間であるというくらいしか知らないのだ。命を預け合うパーティーなのに、そんなことでいいわけがない。
入学早々、絶望だ。わたしは三年間、こんな彼女たちとパーティーを組まなければならないのだ。明らかに問題児&やる気なしの彼女たちとだ。パーティーって響きに、ついつい楽しいことを想像してしまいがちだけど、どう考えたってこんなメンバーでは無理でしょう、楽しく冒険なんて。
眩暈をおぼえたわたしは、隣で魚肉ソーセージを間食中の安成(やすなり)未恋(みれん)を見て癒しを補充することにする。例のおにぎり少女である。お母さんに切ってもらったような眉上パッツンの髪がとても初々しい。
彼女に関しては「運が悪かったね」という他ない。パーティー作りで教室中が熱気立っていた時、彼女はニコニコと座っているだけだった。きっとなにが始まったのか、状況がまったくわかっていなかったのだ。なんだか賑やかなんで楽しくなってニコニコしていたのかもしれない。見た目通り、ぽんやりとした性格なのだろう。
わたしの視線に気がつくと、ニッコリ笑って魚肉ソーセージをグッと突き出してきた。
「食(く)?」
「ありがと。でも、大丈夫、ほんと、ありがとね」
彼女が唯一の救いだ。傷つきまくったわたしの心は彼女の笑顔に救われている。きっと素敵な治療師(ヒーラー)になるに違いない。だって、笑顔だけでこんなにも癒されるのだもの。
あれ、そういえば、もう一人いるはずだけれど――。
だれだったっけ?
購買部は食堂のある小校舎の二階にある。廊下に出ている『購買部』と手書きされた立て看板の奥には、飴色の照明に染められたアンティークショップのような雰囲気の小さな店がある。空間を歪める魔法で省スペース化をはかっているんだろう、どう見ても空間的矛盾が生じている品数が陳列され、その品揃えは量販店並みだ。
「あー、私、ここで適当に休んでるから」
斧塚ランは購買部を覗きもせず、近くの階段に「よっこいしょ」と座り込んだ。
「え、そうなの? 先生、ダンジョン入る前に所持品のチェックもするっていってたよ」
「いいの、もう準備できてるから」
ふぁーあ、と大きなあくびをすると、両手で抱えた膝の間に顔を突っ伏した。
もう準備ができているなんて、明日には学校辞めてそうな人だとおもってたけど、わりとやる気はある人なのかもしれない。
彼女はそっとしておくことにし、わたしは購買部へ入っていった。
やはり、空間的矛盾を生じさせながら、初めての探索(エクスプロール)の準備をするために新入生が集まっていた。出入り口付近では真剣な表情で財布の中身と相談しながらキャンプ用の椅子や毛布、松明や簡易グリルなどを選んでいるクラスメイトたちも見かけた。真剣になるのも当然だ。バックパック以外の初期装備品の準備費用は基本、自分持ちなのだ。あとは《実潜》の授業中、つまりダンジョンの探索中に入手した戦利品を売ったり物々交換したり、あるいはそのまま自分で使ったりしてやりくりするというわけだ。
新入生(わたし)たちを横目に「あらあら、可愛いわね」という笑みを浮かべ、ちょっとだけ高額なアイテムを物色している先輩方の姿もちらほら見られる。みんな、それなりの場数を踏んだ顔つきをしている。
それにしてもさすが、ダンジョン学の名門。購買部の品揃えは素晴らしいの一言に尽きる。
昔は探索者(エクスプローラー)の携帯保存食というと干し肉や干し魚がメインで、しかも味付けがかなりしょっぱくて、その塩っけをおかずにパンを齧るっていうとても味気ない食事だった。
最近は普通にファミリーレストランなんかに出てくるものがダンジョンでも食べられる。カレーライスやオムライス、みそ汁やラーメンなんて汁ものまで携帯食になっているのだから、最近のドライ加工技術の進歩は目覚ましい。お湯で溶かせばカレーと味噌汁にもなるけどドライ状態でも充分に美味しいのも嬉しい。ダンジョンの中では、そうそうお湯が使える環境なんてないし、ゆっくり調理する時間もない場合がほとんどだ。手軽に口に入り、なおかつ栄養のバランスがとれているものが当然いいわけで。そう。この「栄養のバランス」ってところをしっかり考えなければ、ヴァスコ・ダ・ガマのインド航路での悲劇のようなことになる。
そこで、わたしのおすすめは『おいしい棒(デリシャス・スティック)』だ。
某国のコンバット・レーションがモデルになった携帯保存食で、肉や魚や野菜や穀物のドライフードをアルミ筒の中に圧縮保存したものだ。リップクリームのように下部を回して食べたい分だけ出し、そのままかぶりつく。水で戻して本格的に調理したりもできるけど、先述したようにお湯を使って優雅に調理しようなんて余裕はダンジョンにはない。それに『おいしい棒(デリシャス・スティック)』は豪快にそのままいくのが、実はいちばん美味いのだ。なにがすごいって、この一本の中に複数の味を詰め込んでいるのに味が混じらないことだ。たとえばハンバーグライス味の『おいしい棒(デリシャス・スティック)』を齧ると、ハンバーグの味がするのは当然なんだけど、その後にちゃんとライスの味になっていき、二つの味がちょうどよくミックスされていく。のみならず、付け合わせのコーンのバター焦がし炒めや人参のグラッセの味まで入っているんだから、ほんとこれを開発した人はわかってらっしゃる。カレーのラッキョウとか、牛丼の紅ショウガとかを馬鹿にしちゃいけないってのを、ちゃんとわかってる人が開発しているんだ。もう商品名からして「おいしい」っていっちゃってるのでマズいわけがない。こんなにわたしがベタ褒めしている『おいしい棒(デリシャス・スティック)』が、この学園の購買部にはなんと八十種の味が揃っている。期間限定を除いた、ほぼ全種。これは圧巻。わたしは感動で泣きそうになった。
「あら、うんまそだなぁ」
未恋(みれん)ちゃんは携帯保存食コーナーから一歩も動かず、うっとりと目を細めている。教室を出て購買部に来るまでの七分ほどで魚肉ソーセージ、メロンパン、『じゃがりこ』をたいらげているのを真横で見ているだけに「うそでしょ」と驚嘆の声を漏らさずにはおれない。おもいっきり訛っていたのにも驚いたけど。
「ヤッバイ、ここマジ、ドンキばりにテンションぶち上がるんですけど」
紫水晶で薔薇を装飾された手鏡を手に、千ノ宮海凪が興奮して喚いている。財布の中身を確認しているから購入するつもりのようだ。
その姿に、わたしのおせっかい虫が騒ぎだす。
「あの、千ノ宮さん」
「ふぁい?」と振り返る彼女の髪に煽られ、強烈な香水のにおいが押し寄せる。おもわずわたしは咽(む)せてしまった。
「え、なになに、だいじょうぶ? ビョーキ?」
「ううん、大丈夫。あ、ねえ、千ノ宮さんて、確か戦士(ファイター)専攻だよね」
ガッツリメイクの彼女はきょとんとした顔で「ほい」と頷いた。長い付けまつ毛がまばたきのたびにパサパサと鳴る。
「なら、鏡は持っていかなくてもいいんじゃない?」
「えー、でもメイクんときにないと困るし」
「え、メイクしてくの? ダンジョンに?」
「だってあたし、すっぴんだと目が、そら豆みたく小さくなるもん」
「いや、そら豆ってけっこう大きいよ」
「つーか聞いてよぉぉ」
怪人のような爪の生えた指で、わたしのシャツの袖をクイクイ引っ張ってくる。
「昨日さ、メイク落としてイザ寝んべって時にぃ、ヤベェ顔パック切れてんじゃんってなってソッコーで近くのコンビニに走ったわけ。そしたらコンビニの前にカッペ面(づら)のヤンキーがウンコ座りで溜まってて超サイアクなの。んで、当然ナンパされたわけよ。んなもん当然無視すんじゃん? したらそいつら後ろからなんていってきたとおもう? 『ざっけんな、金髪ブス野郎』だって。ありえなくない? ほんっとマジムカつくんだけど。河原の石っころみたいな顔してるくせにさ、あれ、たぶん中坊だわ。生意気にJKナンパしてんなよって、もう激オコのカムチャッカ半島だったわけ。だからスッピンありえないってわけ」
「そういうわけね……でもダンジョンにはヤンキーいないから平気だよ」
「でもさぁ、スッピンだとプリとか写メんときに顔面ヘボくなるし、どこで池様(いけさま)とエンカウントするかもわかんないじゃん?」
いけさま?
「最近、沼メンばっかにコクられてへこんでたし、こちとらツネに池様キュン死にさせるためにラブフェイスたもって生きてるからさ」
ぬまめん?
なに、今って河童系の妖怪の話をされてる?
「ま、まあ、別に自由でいいとおもうけどね。オーク族の戦士も自身を鼓舞させるために顔をペインティングするっていうし」わたしは無理やり自分を納得させて話を元に戻す。「それならこっちのアクリル製か、埃取り付きのコンパクトタイプがいいとおもうよ」
「えー、なんか、ヘボくない? かわいくないし、安っぽくね?」
「でもほら、戦士(ファイター)って動き回るでしょ。バックパックの中で割れたりしたら危ないし」
「あ、そっか」
「ね? 鏡はわたしが買うからさ。使う時にいってくれれば貸してあげるから」
千ノ宮海凪はわたしの顔をまじまじと見つめ、
「えーと」
「――ああ、わたし、星斬怜早。レサでいいよ」
「レサちんね。じゃ、あたしもミナギでいいよ。なになに、レサちんもメイクとかする系なの?」
「(レサちん……)ううん、そういうのはしない系だけど。盗士(シーフ)は鏡ってよく使うの。ほら、こうしてさ」と、商品棚の角に手鏡を突き出す。「ダンジョンの曲がり角を確認するのに使ったりできるでしょ」
「おおお、そういうの、映画で見たことあるかも」
「でしょ。たまに聴覚や嗅覚の鋭いモンスターが冒険者の侵入を察知して待ち伏せしてる時があるからね。といっても、そんなわかり易い待ち伏せはゴブリンかコボルドくらいしか仕掛けてこないけど。あとは罠の解除なんかにもよく使うよ。宝箱の罠の仕掛けってだいたい上蓋にあってさ、そういうとこって死角になるから解除が難しいの。だから鏡で見ながらだとやりやすいんだよ。歯医者さんの使ってる小さいおたま(・・・)みたいな鏡、あんな使い方」
鏡はぜひ、ダンジョンに持っていきたい道具の一つだ。
神話社『はじめてのダンジョン探索マニュアル』の初期装備一覧に鏡があるのを見て、こんな物がダンジョンで何の役立つんだと首を傾げる人は、その発想力の乏しさが足枷となるだろう。
デキる探索者(エクスプローラー)はダンジョンに持ち込める限られた道具をいかに活用できるかを考えるが、中でも鏡は発想次第で実に有用なサバイバル・グッズとなるのだ。
光の明滅によって離れた場所から仲間に信号を送ることや、落とし穴(シューター)に落ちた時に上へ向けてのSОSにもなる。底の見えない穴に落として光を当てると、割れた破片の反射で深さを測ることもできる。他にも光を使っての敵の陽動、相手の目に光を当てて眩ませるといったシンプルな使い方もできる。
「光の差し込まない地下迷宮では光そのものがキーアイテムになることもあるの。光を当てたら解除される罠だとか、鏡を使って光を導く仕掛けだとか、鏡越しにだけ映りこむ隠し扉(シークレット・ドア)や古代魔法語なんかもあるからね。そういう魔法はセラミックの鏡なんかじゃ反応しないから、持っていくなら金属鏡か硝子、金属は重いけど丈夫だし、硝子は脆いけど安価で手軽。そうそう、邪視(じゃし)を使うモンスターなんかにも有効だしね」
ジャシ? とミナギは首を傾げる。
「視線に呪力を持つことよ。見つめるだけで相手を麻痺(パラライズ)とか石化(ペトリファイド)とかさせちゃう能力。メデューサやバジリスクなんかが筆頭かな。そういう厄介なモンスターと遭っちゃった時、その視線を跳ね返せるのは特殊な魔法と鏡だけなの」
ミナギは手鏡に目を落としながら、ほえぇ、と声をあげている。
「超お役立ちじゃん。ツケマつけるとき重宝だしマジ万能、ヤバイ、ミラーあなどれねぇ」
「いずれにしても、前衛のアタッカーより、フォロー・アシスト役の盗士(シーフ)なんかが持っていた方が何かと都合いいのよ。ファイターが握りしめるのは武器と盾。こういう小道具を扱うのは手先の器用なクラスに任せたほうがいいって話よ」
「なるほど、頭ブチいいね。うん、じゃ、鏡はレサちんにまかせるね」
あれ、わりと扱いやすいかも。そうか、言葉が通じにくいだけで、心は素直な子なのかもしれない。
「あなたはパーティーの大事な戦力なんだから、なるべく身軽でいてもらいたいからね、って、げげぇぇっ! この鏡、マジックアイテムじゃない!」
わたしは鏡の置かれていた棚にある商品説明を見て青褪める。
「それかわいくない? あたし、薔薇って超好きなんだよね」
「これ、自分の分身を作れる魔法の鏡だよ! 一瞬でも値札見た? 五の後ろに0が五つもついてるよ? ちょ、ちょっと所持金いくら持ってんの? は? 二百円!? 遠足のオヤツも買えないじゃない! あー、こわい! 普通のシンプルで地味な鏡にするからね!」
戦慄しながら慌てて棚に手鏡を戻したわたしは、ようやく自分の道具選びをはじめる。
寝袋、十字架、乾燥薬草、手斧(ハンドアクス)、両手剣(ツーハンデッド・ソード)、水晶球(クリスタル・ボール)、呪文書(スペルブック)、カラフルな液体の入った丸底フラスコ。探索(エクスプロール)の必需品から、あらゆるクラスの初期装備、珍しいマジックアイテムが並んでいる。
目移りしているとカウンターの奥からゴシックなデザインの黒いジャケットを着たスレンダー美人が現れた。
「新入生?」
モデル雑誌から抜け出てきたような人だ。わたしは数秒間みとれた後、はい、と頷いた。
「どこの組なの?」
「あ、はい、一年地組です」
「ああ、ウザパンのクラス」
ウザパン……なにそれ、という顔をすると、スレンダー美人はクスリと笑う。
「宇座鳥瑠璃子(るりこ)、あなたのクラスの担任よ。昔のあだ名。あ、でも私以外がそう呼ぶと烈火の如く怒るから気をつけてね」
衝撃だった。あの先生にまったく〝パン感〟はない。あだ名を付けるなら、見たまんま〝軍曹〟だろう。
「呼んだら、そんなに怒るんですか」
「ためしに呼んでみたら? 過去に呼んだ生徒が、個人授業だってマンティコアの巣に連れてかれたこともあるから」
そんな忌まわしい名前なら今すぐ記憶から消し去ってしまおう。わたしは脳にこびり付く女子アナのニックネームみたいなワードを必死に拭い取った。
「あの子、不愛想でしょ。みんなから怖がられてるんじゃない?」
「はあ、まあ竹刀を振り回すので、そういう感じはありますけど」
「普段はね、あんなんじゃないのよ。ああ見えてポエム教室とかに通ってるんだから」
「ポエム……あのポエムですか?」
「そうそう、新作だって、ついさっき渡されたんだけど、見る?」
そういって、四つ折りにされた紙を渡された。可愛らしいカメレオンの描かれた便箋に、可愛らしい丸っこい文字が書かれている。上の方にはポエムのタイトルとおぼしきものが書かれていた。
『週末はいつもダンジョン』
さっき授業中にメモしてたやつだ!
なにやらメモをとってたけど、あれってもしかして、いいフレーズが降りてきたって瞬間だったのかな? なんか昭和の歌謡曲のタイトルみたいだけど……。
宇座鳥先生の名誉を守るために全文は公開しないが、お日様を見上げて「こんにちは、今日も君のまぶしさにウインク」と語りかけていたり、飼い犬のマロンくんに「君が魔法でダンディーなヒトに変身したら、きっと私はメロメロメロンのメロンシェイク」と甘えてみたり、これはなんというか、きついとかそういう問題ではなく、ヤバイ。
「ああ見えて本当は吟遊詩人(バード)になりたかった人だからね。ま、今も諦めてはいないみたいだけど」
わたしの中の硬派なイメージが一気に音を立てて崩れ去った。頭の中で宇座鳥先生の竹刀をリュートに持ち替えてみたけど、違和感ありまくる。ハードロッカーみたいにリュートで殴りかかるイメージならぴったりなんだけど。
「そっかそっか、じゃあ今日が初(はつ)潜(もぐ)りでしょ。そこに一式揃ったセットがあるわよ」
そういって店頭に並んでいる銀色の避難袋のような商品を指す。棚の仕切りに『はじめての冒険セット』と札が嵌っている。うん、わかり易い。
「セット内容は全クラス対応の初期探索グッズ。お買い得よ」
「ありがとうございます。でも、一つずつ見て決めたいんで」
ふぅん、と、わたしの顔を覗き込む。なんだか、どぎまぎしている自分がいた。
「神田(かんだ)よ、神田ルフ。購買部の責任者で、魔法強化師(エンハンサー)よ」
魔法強化師(エンハンサー)――魔法の力で道具の性能を限界まで高めることができる魔術系工作師(マギ・クラフター)だ。ジプシー発祥のクラスで魔術師の持っている可愛い小道具はこういう人たちが作っている。
「あ、あのわたしは――」
「ああー、いいのいいの、わたし、名前聞いてもすぐ忘れちゃうから。ここではみんな、お客さん。でも珍しいわね。初期装備にそこまでこだわる子っていないのよ」
「ごめんなさい。わたし、ちょっとそのへん、めんどくさいヤツなんで」
「なんで謝るの? いいじゃない。道具の質を自分の目で見極めようとするのはとっても大事で素敵なことよ。作った人たちも嬉しいはず」
あら、と神田さんはわたしの背負っているものへ興味を向ける。
「そのバックパック、自前?」
「あ、いえ、ちょっと改良を」
わたしのバックパックはみんなと同じ、学園で支給されている物だ。ただ、重い荷物を入れて長時間背負うとなると肩が擦れたり喰い込んだりして痛いのでショルダー・ストラップを少し幅広に加工し、使用頻度の高い道具を入れるためにフロントポケットをいくつか増やしてある。
「すでにベテランのこだわりね。じゃあ、明かりものから見る?」
バックパックの中身はクラスによって変わるが、全クラスの基本常備品といえばランタンに松明(トーチ)、火薬の粉に油瓶、火打ち石(フリント)や火口箱(ティンダーボックス)といった火に関する道具だろう。ご親切に照明つきのダンジョンもあるが、そんなものは稀で、たいていは暗く陰鬱な場所だ。
光無きダンジョンを塒(ねぐら)とするモンスターは、闇の中で獲物を察知する感覚が備わっていることが多い。もしそんなものが生息するダンジョンで明かりを失おうものなら絶望的だ。モンスターと遭遇する前に精神状態に異常をきたすかもしれない。だからダンジョンに入るものは、最低でも行って帰ってくるのに充分なだけの燃料や照明具を準備しておかなければならない。
神田さんは奥から洒落たデザインのランタンと、ロープで括られた三本の木の棒を持ってきた。木の棒の先には焦げ茶に染まった布が巻かれている。
「ランタンは、このひねりを回せば明るさを調節できるから闇を刺激したくないときは便利よ。普段はおとなしくても、激しい明かりには異常に興奮するモンスターも多いから。もちろん、彼氏と過ごすときのムード作りにも最適。松明(トーチ)は布に濃い松脂蝋(まつやにろう)を染み込ませているから一晩中でも燃え続けるわよ。そのまま武器としても使えるしね」
松明(トーチ)はもっともポピュラーで、誰にでも扱える屋外所持用照明具だ。古くは神の与えた火を持ち運ぶための神聖な道具。もっとも原始的な携行照明具でもある。神田さんのいうようにモンスターに対してダイレクトに「火で殴れる」という利点もあり、油のような引火性のものとの相性は抜群。火は戦況を一変させるほどの強大な力となるだろう。また、剥き出しの炎はキャンプ時の防虫・防獣対策にもなる。オマケにお財布的にも優しい。
しかし、風に煽られると火が暴れて持ち手に危険が及ぶというリスクもあり、当然、水にも弱い。その点、ランタンは風よけもあり、ある程度なら水からも守られ、多少、不安定な状況の中でも安定した照度を保つことができる。シェードを下ろして明かりを消すことも手軽に行うことができるので、急に敵の気配を感じて身を隠したい時などは便利だ。
「クラスは盗士(シーフ)?」
「わかるんですか?」
「ふふ、長年、探索者(エクスプローラー)の卵たちのことを見てるとわかるものなのよ。じゃ、得物は小振りなほうがいいわね」
そういうとカウンターの上に二本の小短剣(ダガー)を並べる。一本は普通、もう一本は刃が滑らかな白い光を帯びている。後者は銀製だとわかる。
「短剣(ショートソード)を持つ盗士(シーフ)もいるけど、手首の負担が大きくて細かい作業に影響が出るからおすすめしてないの。吹き矢(ブロウガン)は塗布毒のコストが馬鹿にならないし、投石器(スリング)はなれないうちは味方に当てちゃうから、やっぱりダガーよね」
驚くほど同感だ。盗士(シーフ)は戦闘向きではないけど、モンスターはそんなことお構いなしに襲ってくる。かといって大袈裟な武器や防具を持つと全体的にかさばってしまい、盗士(シーフ)の慎重な作業に影響が出てしまう。自分の身を護る程度の武器としてはこれぐらいがちょうどいいのだ。ちなみにわたしはダガーなら銀製がいい。銀の純度が高いと多少価格が上がるけど、買って損なし。銀はヒ素を中心に複数の毒物に反応するので、自分たちで用意したもの以外の水や食料を口にする前に刃先をチョンとつけて確かめるといいだろう。わたしたちのレベルでは当分お目にかかることはないだろうが、対人獣(ライカンスロープ)戦では想像を超える効果を発揮してくれる。それにどんな文化圏でも銀はぼちぼちの価値を持つ。低レベルの人型生物(ヒューマノイド)系モンスターはこの手の光り物に目がないので、うまく使えば交渉にも使える。
「なかなかの目利きね。跡継ぎにしたいくらい。じゃ、シルバーのほうでいいわね。そうそう、一年生は早い段階で対アンデッドの授業もあるの。ダガーは頼もしい武器だけど、肉体のない霊体にはきかないから聖水も持っておくと安心よ」
そうだ。わたしたちはあぶれ者で構成された六人だということを忘れていた。パーティーバランスなんて考えていないし、誰がなんのクラスなのかもほとんど知らない。クレリックのような対アンデッドに強いクラスがいない可能性だってある。
「ここで一つアドバイス。聖水を購入する場合、作り手の顔がラベルにある物を選んだ方がいいわよ」
「作り手? ……あ」
本当だ。購買部の棚に並ぶ聖水の瓶の横腹には「わたしが作りました」って自信を湛えた笑顔のザビエル風体の人の写真が貼られている。スーパーの野菜みたいだ。
「できれば、聖水はケチらず、ちょっと値が張っても有名な作り手の製品を選ぶことをおすすめするわ。ひどい業者があってね、徳の高そうな顔した普通の年金暮らししてるお爺さんの写真を無断で使って、ラベルに『世界中の教会が推薦!』『神に認められた者にしか出せない、この対アンデッド力!』『チベットの深山で三十年修行した聖者だからこそ生み出せる神聖な輝き』とか嘘八百の売り文句を並べたてて売っているの。高名なクレリック産の聖水だと信じ込んで買ったら、とんだ生臭坊主の自宅の水道水だったってケースもあるんだから」
「そう聞くと生臭そうだし、なんだったら逆にアンデッドを元気にしてしまいそうですね」
「気づいた時には、もうゾンビやグールの爪に喉笛を引き裂かれてるわね。と、物騒な話題が出たところで、回復系も見ておく? いいポーションがいろいろあるわよ」
「あ、でも、ポーションはちょっとわたしには――」
まだ早いです、といい終える前に神田さんは奥へといってしまった。
日頃からデーモンやドラゴンばかり相手にしている人ならわかるが、わたしたちが探索(エクスプロール)中に負う怪我なんてせいぜい擦り傷か打撲程度。お財布事情的にも薬草か軟膏で充分だ。ちなみに価格は薬草がジョワならポーションはユンケルスターくらい?
しばらくしてカチャカチャと丸底の水晶フラスコに入ったカラフルなポーションを抱えた神田さんが戻ってくるが、困惑ぎみなわたしの顔を見るなり、「しまった」という顔をし、すぐにまた奥に引っ込んでいった。なんかごめんなさい。
「私ったら新入生相手に、つい商売根性がでちゃったわ。そうよね、ポーションなんて使えるのはまだ当分先のことよね。いつかはポーションをガブ飲みできるくらいになってね」
戻ってきた神田さんはオホホホと笑いながら、洗濯バサミで後ろに干されている乾いたワカメのようなものを何本かカウンターに並べていく。
「じゃ、傷ふさぎ、痛み止め、止血、解毒、解熱、便秘薬あたりをまとめておくわね」
「あ、いえ、最後のは、あの、けっこうです」
「なにいってるの。なんならこの中でいちばん必要よ?」
「……わたし、お通じの方は問題ない方なんで」
女子高生になにをいわせるんだろう。
周囲に目を配ると先輩方がわたしと神田さんのやり取りを半笑いで見ている。もしかして毎年恒例な光景だったりするのかしら。
「今は平気でも、いずれ必要になるわよ。ダンジョンみたいな暗くて臭くて湿った物騒な場所に長時間いたら、不安や緊張でストレスが溜まって絶対、体調にも変化が起こるから。その第一陣が」
「便秘、ですか」
「便秘、よ。今なら入学祝い価格で半額」
確かに便秘は女子の最大の敵のひとつだが、わたしは断っておいた。便秘薬を買うお金があるなら(結構な値段だった)、少しでも良い盗士道具(シーブスツール)が欲しい、そう伝えると神田さんは「初心者にはちょっと背伸びしたものだけれど」と一式出してくれた。
フックとロープ、合鍵の束、油瓶と油注し、聴診器、針金、金(かな)梃(てこ)、六角レンチの束、金槌にスパイク四本、指サック、精密ドライバーセット、スクリュウドライバーのグリップと数種の軸セット。そして、念願のツールポーチ。
工具を差すためのベルトやポケットが馬鹿みたいにごてごてとたくさんくっ付いた、盗士(シーフ)道具を携帯するためのウエストポーチだ。工事現場の人なんかが装着している男らしいイメージのアイテムだけれど、わたしはずっと憧れていたのだ。海外のカタログを何冊も取り寄せて、一日中、それをつけて盗士(シーフ)の仕事をする自分の姿を想像した。こういうポーチをつけて手入れの行き届いた道具を使いこなしているベテラン盗士(シーフ)なんか見てしまったら、わたし、五十歳くらい歳が離れていても惚れてしまうとおもう。
盗士(シーフ)は剣や魔法を使いこなすことはできないが、細かい手先と使い慣れたツールさえあれば戦士(ファイター)や魔術師(マギ)よりも輝けるクラスだ。良い盗士(シーフ)がいるパーティーはどこも良い功績を残している。逆に不器用で道具を使いこなせていない盗士(シーフ)をダンジョンへ連れていくことは、そのパーティーにとって死神を連れ歩いているのと同じくらい不幸なこと。それくらい盗士(シーフ)はダンジョン探索(エクスプロール)において重要な役割を担っている存在なのだ。だから、多少、背伸びになったって今からいい道具に慣れておきたいとおもい、実は盗士道具(シーブスツール)用に貯金を下ろしていたのだった。
こうしてわたしは、満足のいく初期装備を買いそろえることができた。
なんだろう。すごく楽しい時間だった。
探索者(エクスプローラー)はこうして、旅に出る前には行きつけの道具屋で補充し、新調し、話し上手な店主から新商品を紹介され、交渉して、情報をもらい、会話を楽しんだりして、危険とロマンあふれるダンジョンへと赴く景気づけとするのだろう。神田さんは抜け目がない商売上手な人だけれど、それ以上にすごく話しやすくて素敵な大人の女性だった。
「私の強化品も並べてるから、よければそれも手にとってみて。新入生価格のもあるから。あ、それとこれ、いい盗士(シーフ)道具を買ってくれたサービス。パーティーの他の子にも渡して」
わたしなんかじゃ一生できないような美神の如き笑みを見せた神田さんは、ナチョチーズ味の『おいしい棒(デリシャス・スティック)』を六本くれた。
「最初はいろいろ大変だけど、絆はだんだんとできてくるものだから。がんばって」
そうか。神田さんは見抜いていたのだ。わたしの困った状況を。だから、わざわざ他のメンバーの分までくれて、これを仲良くなるきっかけにしなさいといっているんだ。
わたしは深々と頭を下げてお礼をいうと、いまだ携帯食コーナーでうっとりしている未恋ちゃんと、所持金二百円の分際で懲りずにマジックアイテムコーナーを行ったり来たりしているミナギに『おいしい棒(デリシャス・スティック)』を渡し、他のメンバーはどこにいるのかと店内を見渡す。
あいかわらず近寄り難いオーラを放ちながら商品棚を睨んでいる水那面リエンを見つけ、声をかけるべきかどうかと悩む。ここで少しでも交流をとっておかないと、一緒にダンジョンなんてとてもじゃないけど潜れない。あんな空気をばんばん放たれたら冒険を楽しもうにも楽しめない。わたしは意を決し、そっと彼女の隣に立つと「もしもし」と声をかけた。あたりまえのように「あん?」と返ってきた。
「あの、これ、購買の人からサービスでもらったんで……どうぞ」
『おいしい棒(デリシャス・スティック)』を差し出すと、「おお」と受け取り、再び棚に顔を向ける。
それ以上かける言葉が見当たらず、その場に留まりながらチラチラと彼女の横顔を見る。
よく見ると、きれいな顔をしている。ずっと睨まれているなぁと思ってたけど、もともと尖った目つきの人のようだ。それプラス、やっぱりちょっと不機嫌な感じだから、ものすごく怖い人に見えるんだ。
アクアマリンのような瞳。日本人離れした顔立ち。この人、ハーフなのかもしれない。
彼女がまっすぐ見つめているのは拳闘具コーナーに並んでいる真鍮拳具(ブラスナックル)。拳にはめることで打撃力を高める近接武器だ。彼女の握りしめた拳を見ると、そこからくしゃくしゃの千円札がはみ出ている。
「これ、欲しいの?」
「イカしてんだろ」
「あ、うん。あの、念のために聞いてもいいかな」
「なんだよ」
「これ、喧嘩に使うわけじゃないよね?」
「あ? んなわけねぇだろ。喧嘩に武器なんざいらねぇ。拳(こいつ)だけで充分だ」
千円札を握りしめた拳で平手をパシンと打つ。
「水那面さんって、もしかして格闘家(マーシャル・ファイター)を専攻?」
「ああ。変わってんだろ」
「そんなことないけど。うちのクラスにも何人かいたみたいだし」
「ありゃ本気(マジ)のじゃねぇ。美容目的だ。何度かメンチぶっ込んだけど、どいつこいつも眼をそらしやがる。ソウルのひとっかけらも湧きたたせやしねぇ」
確かに女子には武闘魂(ブトウ・ソウル)は宿りづらいかもしれない。あれは武闘に身も心も捧げ、終生を闘いに費やす覚悟のある者だけが宿せるソウルなのだ。そういうところが近年の女子たちに「脳筋(のうきん)っぽい」「汗臭い」とマイナスイメージを抱かれているようで、本気でこの道を目指そうという人が激減している理由らしい。その道(クラス)で有名になった女性格闘家(マーシャル・ファイター)の探索家(エクスプローラー)も最初はダイエット目的だったと聞く。ちなみに水那面リエンはダイエットの必要なんてないくらい引き締まったよい肉体を持っている。
「で、このナックル、買わないの?」
迷ってんだ、と水那面リエンは視線を足元に落とす。拳を握りしめていた。
「喧嘩なら拳(こいつ)がありゃ充分だ。誰にも負ける気はしねぇ。でもよ、ダンジョンにゃ、堅い鱗のヤツとか岩でできたヤツとかがいるんだろ? さすがにオレもそんなヤツラと素手でやり合うほど馬鹿じゃねぇ」
わたしは胸を撫で下ろす。賢明な判断ができる人でよかった。
「でもムカつくんだよな」
わたしはビクンと肩を震わせる。
「え、ごめんなさい」
「あ? なんでおまえが謝るんだよ。オレは自分にムカついてんだ」
水那面リエンは狼みたいな顔で噛みしめた歯をギリッと軋ませた。
「オレは今まで、この肉体を頑丈な鎧に、拳を強(つ)えー武器にするため、毎日死ぬほど鍛えてきたんだ。それを今さら、金属の塊の力なんか借りてもいいのかってよ」
「それで、購入を迷ってたの?」
「ずっと自分に問いかけてたんだ。てめぇが鍛えた拳を疑ってんのか? マジでやれば、拳だって鋼になれるんじゃ、いや、鋼にも勝るんじゃねぇかってな」
なんかちょっとズレてるところもあるけど、けっこう真面目な人みたいだ。さっきは心の中でオーク脳なんていって申し訳ないとおもった。
でもよ、と水那面リエンは真鍮拳具(ブラスナックル)に視線を戻す。
「こいつを見た瞬間、声を聞いちまった気がしてよ」
「声」
「おう、声だ。一緒に連れて行ってくれ、オレも強いヤツとやり合いたいってな」
わたしは真鍮拳具(ブラスナックル)を見て、よくこんな擬人化しづらい形をした物の声を聴くことができたな、と彼女の感受性に感心する。
「こいつの想いを受け止めてやりてぇが、おまえが考えてるほど武闘の道は甘くはねぇぞって気持ちもある。こいつは物だ。ソウルを測りたくても感じねえ。なにより、オレの拳のパートナーとなるのにふさわしいかどうか、わからねぇんだ」
「で、でもさ、この武器だって鍛えられたものだし、生半可な気持ちでこの棚に並んでいるわけじゃないとおもうんだよね」
水那面リエンは驚いた顔をわたしに向ける。
「こいつらも……鍛えられてんのか?」
「うん。そこらにある鉄っきれなんかより、よっぽどね。何度も熱を加えられて、人間の拳が岩や鉄にも立ち向かえるよう、硬く、硬く、鍛えられてるんだよ。きっと水那面さんにも負けないくらいがんばって、この棚に並ぶことができたんだよ」
「……マジか」
ぎり、と千円札を強く握りしめた水那面リエンは、「よし」と力強く頷く。
「えっと、おまえなんつったっけ」
「え、ああ、星斬だけど」
「ああ、そうだ、おもいだした、星斬だ。レサっていったか、サンキューな、決めたぜ。買うよ……このメリケンサック(・・・・・・・)をな!」
呼び方ひとつで一気に喧嘩道具感が増した気がする。
「あー、それから、さん付けはやめてくれ。中学んころ、どいつもこいつも水那面さん、水那面さんって呼んできて、すっげーうっとおしかったんだよ。あと、下の名前で頼むぜ。自分の苗字、なんかパッとしなくて、あんま好きじゃねぇんだ」
「きれいな苗字だとおもうけど。あ、うん、うん、そうする、そうするね」
どうやら彼女とわたしは打ち解けたようだ。
水那面リエンが意気揚々とレジへ向かう背中を見送ると、手元に残った二本の『おいしい棒(デリシャス・スティック)』に目を落とす。
一本は外でグダっている斧塚ラン。あんまり彼女にはあげたくないな。いらないとかいわれそうだし。
で、もう一本は――。
あれ。
おかしいな。やっぱり六人目が思い出せない。
名前も顔も、なにもかもが記憶から削り取られてしまっている。
ちゃんと、六人、いたはずなのに。
不思議。まるで忘却禁呪(レテ)をかけられてしまったみたい。
灰色の予感と不安を拭えぬまま。
わたしは午後の《実潜》授業の時間を迎えることになる。